楽しんで育てた柿を
喜んでくれる人たちに届けたい 幼少期から当然のように 柿がある環境で育ちました。 祖父母が地域の方々と一緒に ゼロから拓いた柿園地です。 50年に渡ってがんばってきた 祖父母も90代が近づいた頃 後継者がいないまま園地は 捨てられようとしていました。 やれるだけのことはやりたい。 そんな思いから 2017年に通い農家として 両親を一代とばして 就農しました。 外的要因もある選択でしたが 悔いのないように 柿づくりを楽しみます。 そして 自然の健康食品である柿で 食べてくれる人たちの 食生活や健康を支えたい という想いも大切に 故郷の新潟から 柿を届けていきたいです。 迷いながら 悩みながら それでも一歩ずつ 仮に農業をするにしても、子どもたちを育て上げて50代になった頃から…… 元々はそんなつもりで、人生設計を考えていました。 「どんな環境で子育てしたいか」を夫婦で何度も話し合い、住む地域を決めて、意を決して購入した一軒家。 そういった状況での30代からの転職と就農は、完全に予想外のできごとでした。 しかも、地元に住んで現役の親世代と一緒に農業をしている人が大半の中で、実家に通いながら引退目前だった祖父母からの継承。 地元の若手農家さんたちと、同じようにはできない部分が気になり始めます。 農作業以外の地域のさまざまなことに勧誘されても、現住所のことに手一杯で実家の地域活動までは参加できない。 若手農家が収穫期に出かけるPR活動への参加を要請されるも、ウチは祖父母だけだと収穫作業が不可能になるので参加できない。 うしろめたさだけが積もっていきました。 そんな中で、何か自分にもできることはないかとたどり着いたのが発信活動。 苦手意識のあったSNSを始め、ネットラジオである「Podcast」での発信を始めました。 活動の甲斐もあって、少しずつ「越王(こしわ)おけさ柿」というブランド名を知ってもらえたり、「撮る柿農家あっき~」という人間に興味をもってもらえたりするようになってきました。 それも両刃の剣の可能性があり、地元の中では協調性がなく自分だけが目立とうとしていると思われているかもしれません。 正直に言えば、人とちがうことをするのは怖いし、人からどう思われているのかに不安を感じることもあります。 「地域として がんばりたい」という思いも強いので、個人でPRするのに抵抗もあります。 それでも、「個として広く認知してもらうことが、最終的に産地のPRにつながる」という言葉を信じて、自らを奮い立たせ、なんとか地域の役に立てたらと、自分にできることをがんばっています。 これからも悩んだりするかもしれませんが、自己紹介で書いたとおりにまずは自分自身が幸せになることも大切にしながら、選んだ道を信じて一歩ずつでも進んでいけたらと思います。 |
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